人間は不完全です。

それは歴史が証明しています。

人間ほど自己中心的で罪深く、愚かな存在はないでしょう。

戦争、爆弾、銃、征服したり征服されたり、殺したり殺されたり、、、

「自分たちが正義である」との主張を貫こうと、そんなことを何度も繰り返しています。




今現在の日本や世界の状況もそうではないでしょうか?

過去にあった戦争のような戦火や爆弾、血が飛び散るような惨状は見えていませんが、

それよりももっと怖さを感じる「抑圧」「同調圧力」「分離」「監視」「コントロール」。

目に見えないものの方が怖い。

今を第三次世界大戦という人もいます。

私もそうだと思います。

ただ、そんな状況でも私たちは生きていかなくてはなりません。




人間にとって、過去も今もそして未来も本質的なことは変わらないでしょう。



・自分は何のために生きているのか?

・自分にとって大切なものは何か?

・自分が本当に求めているのは何か?

・自分はどうなりたい(どうありたい)のか?




この根本的な問いに対して、答えを知りたくて、昔も今もそれを求め続けています。

これは人間が不完全だからこその問いだと思います。




野生動物はそんなことは考えないでしょう。

生きる目的はシンプルに「種の存続」だけだからです。

はっきりと答えを持って、そのためだけに命を燃やしています。

目的がはっきりしていて、やることが明確。

だから悩みなどありません。




人間の場合、「自分が正しい」ということを貫こうとすることで、争いが生まれ、憎悪が生まれます。

でも「人間は不完全だから」とわかっている人は、その不完全さを「克服しよう」と向上心を持っています。

人の力を借りて、お互いの違いを認め合って、手と手を取り合って、共に生きていこうとします。

言ってみれば「謙虚」であるのは、不完全であることを認めているからだと思います。

傲慢になり、「完璧、間違っていない、正しい」と少しでも思ってしまうことは、

「自分は人間でない」と言っているようなものなのかもしれません。

だって人間は不完全な生き物だから。



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(以下過去記事からの引用です)


自然界のほとんどの事物は厳密には「対称」なものは存在しません。

私たち生き物はそれぞれの環境に適応して生きています。

歪みのない、完全なもの、は頭の中でしか存在しないのです。


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                 哲学者プラトン


 古代ギリシャ人は「イデア」という完全な世界を想起しました。

「完全な円や三角形、そのほかの事物は、「イデア」という次元の違う場所にしか存在しない。この世の全ては、その完全なる世界(イデア)の模造品に過ぎない。真理というものはそのイデアにある。」



そういったことを言葉で説明するのを哲学と言います。

哲学が考える「自然」は、「不完全なもの」ということになります。


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戦時中の今だからこそ、再度、

・自分は何のために生きているのか?

・自分にとって大切なものは何か?

・自分が本当に求めているのは何か?

・自分はどうなりたい(どうありたい)のか?



ということを自分の頭で考え、その問いの答えを追求する行動をしていかなくてはいけないと思います。


改めて、みなさん、自分のことを考えて書き出してみてください。

さっさっと書き出せますか?

案外、自分の存在の「根源的」な部分が曖昧だと思います。




・TVで有名な人が言っていたから、、、
・誰かがこう言ったから、、、
・みんながそうやっているから、、、
・他の人に何か言われるのは嫌だから、、、


そんなものはもう通用しません。



この先は、

・与えられる情報だけを鵜呑みにするのではなく
・自分で情報を集め
・自分の頭で考え
・他人の定規ではなく・自分で意思決定

をして進んでいかなくてはいけない時代になっていくでしょう。 




「騒ぎ」が終わるのは、ウイルスがいなくなった時なのではなく、 

不完全さを認め、不完全さを補う向上心と探究心、そして自分の行動に責任をしっかり持った人が増えた時だと思います。