生物は命を守るために、本能的に不快を避けて生きています。
ところが人の場合、不快、痛み、苦しみを避ける行動はうまくいかないことが結構あります。
痛みから逃れたい、、、
あの人から逃れたい、、、
不快から逃れたい、、、
逆に、自分から求めてしまっている人もいます。
痛いことが好き、痛いのが気持ちいい(痛気持ちいい?)、なんて。
「痛みさえなければ」
「あの人さえいなければ」
「これさえなくなれば」
と思っているのに、なぜか完全に避けることができない。
例え、それらが無くなっても『違う痛み』や『違う嫌な人』や『違う不快』が必ず現れます。
なぜでしょうか?
人は回避行動を想像するのです。
安全になるには危険を察知、予知することが大切で、人はその能力を高めて生きてきました。
動物では本当に危険が迫った時にその都度回避しますが、
人は前もって、思考で色々なパターンを想像してしまいます。
もしこうなら、、、
もしこうだったら、、、
想像できること、視覚化できることは引き寄せることができます。
というより「具現化」してしまいます。
『〇〇』が無い状態というのは 『〇〇』を視覚化し、想像した状態です。
嫌な人がいない状態は、嫌な人にフォーカスが当たっています。
嫌な人に会わないことが幸せではなく、好きな人に会うことが本来の欲求です。
嫌いな人や苦しみから逃れるのが回避行動で、好きな人に会う、楽しみに向かうのが本来の欲求です。
好きな人をみていれば嫌いな人は見えなくなり会わなくなります。
嫌いな人を見ないようにするのは回避行動です。
好きなものだけ見ていればいいのです。
好きなものが見つかり、好きな人を引き寄せていきます。
こんなのがいいな、これが欲しいな、と思っていると、それに対してにアンテナが敏感に反応して見つかり易くなります。
これが引力。
例えば、車を買い替えたいと思っていると、街を走っている車の色や車種に敏感になります。
そう思っていない時はただ「車」にしか見えませんし、そこに注意も向けません。
全てのもの、情報、エネルギーには引力が働いています。
これが万有引力です。
万有=宇宙間に存在するすべてのもの。
引力は何にでも働きます。
ものではなく情報にフォーカスする、感覚を集中させます。
快にフォーカスすると、不快は消えていきます。
快も不快も外側の事象ではなく、内側の感覚です。
この感覚を選択することで外側の事象が内側の影響をうけて相互作用するのです。
多くの人が外側の事象が内側の感覚の原因になっていると思い込んでいますが、
外側の事象や物質に対して私たちは無力です。
私たちは内側の感覚は自由に選択することができますから。
どちらを選択し、どちらに向かうか。
嫌いを避けるのではなく、好きなことを求めることが大切です。
不快を感じようとせず、快を感じようとすることが大切。
自由に選択できますよ。
コメント