人は「意識」と「無意識」があります。

「無意識」がほとんどを占める、という話もあります。

意識を使うことも、無意識でやっていることも、

また「呼吸」のようにその両方を使い分けることもできるものもあります。




「立つ」「歩く」「歩行」などはほぼ無意識で行っています。

例えば意識して腕を大きく振る、足の親指を意識する、ということはわずかな時間であれば可能ですが、普段はほぼ無意識です。

ほとんどの人は普通に(適切かどうかはおいておきます)歩いています。


しかも「どう歩くか」など考えていないように歩いています。

完全な無意識ですが、先述のようにわざと意識的に歩くことももちろんできます。


面白い、ですね 笑





また、歩いている時に段差に躓いてバランスを崩すことはあっても、そう簡単には転倒しません。

傾斜がある道でも前や後ろに転がってしまうことはほとんどありません。


この制御は誰がやっているのでしょうか?


自分?





少なくとも意識的な自分ではありません。

正確には「反射」です。


『今、段差に躓きバランスを崩したため、右(左)足を出して転倒を防いだ』

と明確に意識などするでしょうか?


この筋肉に力を入れて、

この関節の角度を何度にして、

腕はこうして、、、

なんて。

それを意識できる人はいません。

突然それは起こり、完全に無意識にしか転倒を防ぐことはできません。




再び問いますが、

誰がこれをやっているのでしょうか?


「そんなの当たり前すぎて考えてことなんてないよ」




、、、と思わず、疑問を持つことが大切です😅




先の状況で、高齢者はそのまま転倒してしまうことがあります。

よく言われるし、皆がそう思っていますが、

「筋肉が弱ってきたから」

というやつです。



本当にそうなのでしょうか?

もちろん、筋肉は弱っているかもしれません。

でも、転倒しやすくなるというのは、

『無意識が弱ってきた』

ということだともいえると思うのです。




ということは、無意識を鍛える事で転倒のリスクを回避できるかもしれません。


無意識を鍛えるといっても、無意識は意識下にないので鍛えようがありません。

どうしましょうか?😅




考えてみれば、無意識は単独で機能しているのではなく、意識と協調しあっているはずです。

意識➕無意識=その人の脳、だからです。

意識的に歩行はできることからもそれはわかります。




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無意識にやっていることを、あえて「意識的」に行うこと。

そのために、

とてもゆっくり、

とても小さく、

適切に、

動くというのは無意識へ動きを還元する唯一の方法だと考えられます。






武道では

「早く動きたければ、ゆっくり動け」

「もっと早く動きたければ止まれ」


と言われます。




誰よりもゆっくり動ける人は、誰よりも早く動けます。

面白いでしょう?