全てに感謝し、周囲と調和して生きる。




これができれば最高に幸せだと思います。

自分がどういう「メガネ」をかけて世の中を見るか、で人生は大きく変わります。

起きていることは一つでも、見方・感じ方は千差万別です。





身近なところでは、

会社に嫌な人がいる、

クレームばかり言ってくる客がいる、

近所で騒がしい人がいる、、、






視点を広げれば、

政治家が利権争いをしている、

国同士で争いが絶えない、、、






自分(たち)は周囲と調和した生き方、自然と調和した生活をしていきたい、と望んでも、

それを望まない人たちがいます。

それを阻止する人たちがいます。

この矛盾をどうしたらいいのでしょうか?





究極的には、いつか調和が取れた世界が実現するのかもしれませんが、どう見ても今はそのレベルにありません。

「今だけ、金だけ、自分だけ」

の利権に目が眩んだ人たちがなんと多いことか。

変えようがないと諦め、自分もそちら側に鞍替えする、のもアリなのかもしれませんが、

今は自分が調和の世界を自分の周りにだけ作り、被害を最小限にする知恵や工夫をするしか手立てはありません。

ガチガチに鉄の要塞を作るようなことではなく、もう少し軽めな感じで「守り」を考えたい。





先の例で言えば、会社に嫌な人がいる、というケース。

でも会社を辞めるわけにもいきませんし、嫌な人に会社を辞めてもらうわけにもいかないでしょう。

そういう場合「感覚を遮断する」ことがいいと思っています。

いちいち「嫌なやつだな」と感情を起こさないこと。

「こういう人なんだ」

「いろんな人がいる」

「人は皆違う」


そう思えばいいだけです。

他人は変えられません。




変えられるのは自分だけ、です。




近所で騒がしい人がいる、場合。

「うるさいなぁ」

「また今日も騒いでる」


一人で愚痴を言っても仕方ありませんから、そういう場合は然るべきところに相談にいくことです。

あまりにも公衆に反するようならば、その人に直に苦情を言うことも可能、

隣近所で同様に迷惑だと思う人がいれば、町内会や行政での相談もできるでしょう。


あまりにもひどければ警察に相談も考えられます。

できること、があります。

やりもせず、行動も不十分では不満が募るだけです。




調和を望むのであれば、個人のレベルでも「守る」ことができます。

守る、とも言えますし、「備える」とも言えます。




行動でさまざまなことに「備える」。




国レベル、で言えば、個人レベルでできることは、

少しでもちゃんとした政治家を選ぶために投票に行くこと。

これは最低限の行動であり、義務でさえあります。

先日の衆議院選挙も非常に低い投票率でした。

個人個人の意識が高くなり「守っている」「備えている」と思えることが、究極の守り・備えになります。