小林武彦著(講談社現代新書2023)「なぜヒトだけが老いるのか」と言う書籍があります。








ヒトだけが「歳を取る」という概念があります。

多分うちで飼っている猫たちに「自分たちも歳とったな〜」なんて感覚はないです 笑





ほとんどの動物は生殖を果たしたのちに死ぬ運命にあります。

哺乳動物の中で生殖可能期が終わってからも寿命が絶えないのは、

ヒト以外にはシャチとゴンドウクジラだけとのことです。

そして、著者は、生殖機能が衰えたのちの期間を「老後」と呼び、

この「老後」の存在がヒトの特徴なのだといいます。





「生物はなぜ死ぬのか」という前書があります。





「死」はあらゆる生物にとって必要なことであり、

これまでのあらゆる生物が死に続けてきたからこそ生物の進化が起こり、

人類の誕生もその延長上にあるのだと解説しています。





「なぜヒトだけに長い老後ができたのか?」




改めて考えれば確かにそうです。


結論としては、進化の結果としてもたらされたヒトの「社会」の中で、生殖機能の減衰した「シニア」の存在が必要だった、ということになります。

逆に言うと、

そのような「シニア」の役割を必要としたグループが、現在のヒトという種として生き残ったのだ、と著者は考えています。





4万年ほど前に私たちの祖先であるホモ・サピエンスがネアンデルタール人を絶滅させた理由の一つに「集団の大きさ」が挙げられています。

ネアンデルタール人が100名ほどの集団で暮らしていたのに対して、

ホモ・サピエンスは1000人程度の規模だったようです。





智慧と統率力を発揮する長老(シニア)の機能が大きな役割を果たしたのではないか。

そして、現存人類(ホモ・サピエンス)が獲得した「分業」を高度に発展させる上で、

リーダーとなるシニアに多くの技術や知識が蓄積され、それが引き継がれていくプロセスが大きな役割を果たした、わけです。


 



ところで、「シニア」に期待されるのは、リーダーとしての統率力だけではありません。

そもそも、あらゆる哺乳類の中で、ヒトは子育てに大きな労力を必要とする種です。

例えば、ヒトとゴリラは、どちらも生後2〜3年は親からの食餌(主として母乳)を必要としますが、ヒトと違ってゴリラの赤ちゃんは泣きません。

さらに、ゴリラの赤ちゃんは生後まもなく自力で母親の体毛を掴んでしがみついて移動するので、母ゴリラは両手を使って木に登ったり食料を取ったりできます。





ヒトの赤ん坊はしょっちゅう泣いて要求し、しがみついてもくれません。

赤ん坊はいつでもつきっきりで世話することを要求するのです。

もちろん、父親も育児に参加するとはいえ、ここでの救世主は「おばあちゃん」。

「おばあちゃん」が元気で長生きな家族ほど子供を持てるキャパシティが高く、遺伝子を遺す可能性が高いのです。

実は、ヒト以外に「老後」を有するシャチとゴンドウクジラも、群れにいる「おばあちゃん」が子育てに協力するのだそうです。

シャチは閉経後、50年も!生きるらしい。。。


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「分業」という仕組みを高度に発展させて進化した人類社会が、

「シニア」の役割を活用する分業体制を整えることで「シニア」の価値を高めてその存在を必要とするようになっています。

これが今の我々の社会の活力の基盤になっているということがわかります。





よく「老後は静かに過ごしたい」「老後はゆっくりしたい」と願いを口にするシニアも多くいいます。

誰もが生涯労働すべきではないのですが、

赤ん坊には赤ん坊の役割があり、

子どもには子どもの役割があるように、

シニアにはシニアなりの役割がある、

ということだと思います。

決して勤労所得を得る、ことやシニアがすべきなステレオタイプの
画一的な役割なのではなく、

一人一人が社会の中で期待される各々の「役割」です。

「おじいちゃんの役割」とか「おばあちゃんの役割」といった性別で区別される役割でもない。

自由に動けなくなった高齢者も含めて、誰もがそこに存在するだけで社会の役に立っているのです。

だからこそ「今ここに生きている」と考えたいです。