『失敗は成功のもと』といいます。
そんな功利的な計算ではなく、イバラの道に傷つくことが生きる喜び、という人もいます。
通俗的な成功にいい気になってはならない、と諭す人もいます。
真逆に、「成功は失敗のもと」という人もいます。
過去の成功体験は未来においても成功のもとになるとは限らず、
むしろ過去の成功体験に捕らわれると、かえって失敗の原因になりかねない。という戒めなのですが、
その方が、人生の面白さを正確に言いあてているようでもあります。
淡々とした道を行くむなしさに流されてしまわず、傷つきながら身体をひきずって行く。。。
言いようのない重たさを経験し、噛みしめることが人生の極意、
と言っている人もいました😅
例えば、、、
総理大臣になった政治家の顔。
いや、何度もチャンスが訪れていて、でもまた総理大臣になれなかった政治家の顔。
気の毒な顔をしています。
見方によっては悪いことばかりしてきたのではないか?と思えるほど人像が悪い。
総理大臣なんかにならなかったほうがよかったんじゃないか、とよく思います。
人間として開いていません。
議会で答弁する時の顔つき、答弁の仕方、
あれは本当の自分を活かしいていない表情であり、しゃべり方。
演じている。
そういう光景を見るたびに、気の毒、かわいそう、とも思ってしまいます。
それと同じように、会社の社長など、偉くなるにつれて顔がショボくれている人が多くいます。
それよりも、たとえ貧しくても、社会的に評価されなくても、無条件に生きている人のほうがイキイキ素晴らしい顔をしています。
貧しいということは、苦しいかもしれませんが、逆にその苦しいことが素晴らしい。
だから一般には苦しい生き方をしていると、自分をみじめに思ってしまう人が多いようですが、これは大きな間違いです。
よく「あなたには才能があるから、〇〇さんだからやれる、凡人には難しい」
という人がいますが、それはウソです。
やろうとしないから、できない。
それだけのこと。
もう一つ。
うまくやろう、成功しよう
とするから、逆にうまくいきません。
人生うまくやろうなんて、お利口な考えは誰でも思うことですが、
実は大変卑しい根性かもしれません。
世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまうだけ。
一応世間体もよく、うまくはいったように見えるのかもしれませんが、
本当の意味で「生きている」のではなく、流されたままで生きているに過ぎない、、、と思えるのです。
そして最悪なことは、
「自分は本当は純粋にこういうことをしたいと思っているが、それを世の中は許してくれない」
「自分は様々な悪条件の中にあるので、もし違ったところで生活していれば、できるかもしれないが、今の状況では、、、」
というように
やたらにできない理由、障害の項目を並べ立てることです。
それは、弁解のために、自分に言って聞かせ、他人に納得させるために盛んに障害を説明しているだけに過ぎません。
むしろ、この逆です。
「私はこういう制約の多いところでこそ自分のしたいことをするのが本当の行動になると思っている」
「むしろ社会や周囲の全部が否定的であればあるほど行動を起こす」
ただし、中途半端だと不明朗になり、「やらなきゃよかった、、」という悔いばかりが残ります。
それをとことんまで明朗に、自分を『ごまかさず』にやれば、案外通ります。
案外、と言いましたが、むしろそれが本当の成功への道なのかもしれません。
自分の正しいと思ったことを、平気で明朗に表す。
そうすれば、どんなに制約のあるところでも、周囲も明朗になって、やる気になって楽しく生きがいのある生活に巻き込まれていくのではないか?
そうやって、周囲を巻き込んでいくほどのハンパない真剣度でやることが、成功への方法のように思えます。
ハンパはダメ、ですね。


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