本日8月15日、終戦の日。

何年経ってもこの日は終戦の日です。





本来、人間には、進化の過程において

「人を殺すことが好きな遺伝子」は淘汰され、残っていません。





もしそれが残っていたとしたら、人類は殺し合いを続けた挙げ句、はるか昔に滅亡しているはずです。

そもそも「種」には「殺すのも殺されるのも嫌だ」という情報が組み込まれているので、

多くの種が保存され、地球上には存在しています。






人間の遺伝子には、

「自分たち以外の種」についても「殺すのは嫌だ」

という情報が組み込まれています。




それ以外の動物は、自らの種以外を捕食のために殺すことをよし、とします。

でないと生きていかれず、種は滅びてしまうからです。





でも、人間の遺伝子はそうでない、のです。

多くの人は魚や鳥などの肉を食べますが、

自分たちの生命が他の生き物の殺戮の上に成り立っているということに「根源的な恐れ」を感じています。

その証拠に、昔から牛や馬を食べる習慣のあった地方には「牛供養」や「馬供養」のための観音や碑などがいくつもあるのです。

供養のためのお祭りも各地にあります。


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生命の連鎖に対しては信仰心のようなものを抱くのに対して、

同じ種を殺す「戦争」も「人殺し」もするという、

非常に矛盾したことをしているのが人間です。






生物学的な視点では、かなり「奇異」なことであるということです。

動物は「同じ種族を殺すようなことはしない」のです。

縄張り争いや群れの中での争いや、繁殖活動の際に争うことはあっても、

決してトドメを刺すようなことはしないのです。

『これ以上やってしまうと命を落とす』という一歩手前で、決着がつきます。

それ以上は何もしません。

ところが人間はどうでしょうか。





交際相手を取られた男性が、別の男性を嫉妬で殺す、とか、、、

ヤクザが復讐で、相手の組のチンピラを殺してしまうとか、、、

なんだか嫌になる程レベルの低い話しです。

俺の女を取ったから、とか、やられっぱなしではなめられる、とか身勝手すぎる理屈をつけてしまうのです。

動物の中で一番「脳が発達している」生き物なはずなのに。





脳幹レベルでは、殺すのも殺されるのも嫌であるにもかかわらず、

その一線を超える身勝手な「論理」を作り、

その一線を超えています。

人殺しを「正当化」する理屈を作り出します。






宗教とは、〇〇教、と名前がついているものばかりではありません。

「悪い奴は死に値する、だから殺してもいい」

「あいつはムカつくから、殺してもいい」


その「価値観」は「宗教」と同じです。

言うなれば「悪い奴は殺す教」「ムカつく奴は殺す教」です。






昨今の状況で同様なものがあります。

大きな括りでは「コロナ教」、分類すれば「自粛教」「マスク教」「ワクチン教」となるでしょうか。

一時期、「自粛警察」や「マスク警察」が話題になり、私も『捕まった』ことがあります。

早朝に人がほとんどいないバス通りを走っていたら、通りすがりの「警察」にイチャモンをつけられました。





ある一種の一線を超えた「論理」を振りかざして、「軽々と一線を超えてしまう」危ういものが人間にはあるのだということです。





戦争で命を落とされた方たち、

戦争で心底嫌な思いをされた方たち、

戦争に対し自分の意見を言いたくても言えなかった方たち、

全ての方たちに、誓います。




「自分の頭で考え、自分で正しい選択をし、自ら行動する」




次世代へ、明るい希望を持てる社会、誇れる国に。


合掌。