『私』
という漢字。
この漢字は「のぎへん」にカタカナの「む」で構成されていますが、
元々は『和多志』と書いていました。
私=自分とは、
多くの志を和す
という意味。
「自分は全体の中の一人であって、全体があって個がある」
という意味です。
戦後GHQは個人主義を広めたいがために「私」という漢字に変えました。
「のぎへん」には「実る」という意味がありますが、
「ム」には「もうない」「なくなった」もしくは「ない」の意味があります。
つまり「実らない」を表しており、日本人を骨抜きにしたいGHQの意図は3S政策からみても明らかです。
この漢字の変更にもそういう明らかな意図が含まれていると見たほうが自然です。
『和多志』も変えられましたが、よく知られているところでは『気』も変えられました。
本来、気は『氣』と書いていました。
米を〆に変えられたのです。
米は日本では重要な意味を持つ作物で、全国各地に神社やお寺があることを考えてみても、氣という漢字には、神の力をイメージさせる言葉、漢字です。
作りのイメージで考えても「氣」と「気」でどちらが縁起が良いか悪いかは一目瞭然です。
他には「莫迦→馬鹿」「靈→霊」もそうです。
なぜ旧字体を変える必要があったのでしょうか?
「画数を減らし書きやすくする」と表向きには説明されていますが、
そもそも当時の人間としては元々使っていた文字の方が、新しい漢字を使うより遥かに楽なはずです。
存在してない漢字であれば使いようがありません。
つまり、書きやすくするという理由以外に本当の理由はあるということです。
ましてGHQは「占領政策」を我が国に施していたのですから、うがった見方をするべき時代であるとも言えます。
実際はGHQがこの「気」や「魂」「霊」という概念を信じており、占領政策を円滑に且つ、占領政策の目的を達成させるためには最重要と考えたからだと思われます。
「言霊」という言葉ですが、言葉には気が宿ります。
なぜ、先人達はこのようなことを言っていたのでしょうか?
水を観察し、水の結晶にどのような影響があるかを調べます。
片方にはネガティブな言葉をかけ続け、
もう一方にはポジティブな言葉をかけ続ける、
という実験がありました。
すると、ネガティブな言葉をかけ続けた水の結晶は醜く、
ポジティブな言葉をかけ続けた水の結晶は、美しく形成されました。
「水の結晶」で検索すると色々と出てきます。
実際に生活の中でもネガティブな言葉を発し続けているとイライラしたり、不平不満が湧いてきたり、とても前向きな気持にはなれません。
私はいつの頃からか、ネガティブな言葉を使うことをやめています。
小さい頃から自分のことを「バカ、できない」な言葉は嫌いで言わない子どもでした。
「思考が現実を作る」と自己啓発などではよく言われますが、
「思考は言葉が作る」ことが大前提としてあります。
言葉が思考を作り、その思考が現実を作ります。
今現在、実際に「言論弾圧」や「言葉を封じる」ことが行われています。
気づいていない人も多いようですが、ネットの世界ではあからさまです。
『言葉が最強の武器』と知っているのは、メディアと政府です。
プロパガンダ工作では、大抵、ワンフレーズの漠然としたイメージが湧くような言葉を使っています。
過去には、
「民族浄化」
「自民党をぶっ壊す」
「財政健全化」
「国の借金問題」
「対テロ戦争」
「自由化」
「構造改革」
全て漠然としたイメージのメッセージです。
マーケティングでは主に「メディア、メッセージ、マーケット」という3要素を基本とした戦術を考えますが、
このような言葉に引っかかり自らの頭では考えない人間をターゲットにすることで、大衆を誘導することが出来るのです。
よく聞いてくださいね!
私たちを「バカにしている」のですよ!
どうせ何もわからないだろう、と。
広告の世界では「ワンコマーシャル、ワンメッセージ」という言葉があります。
つまり、15秒ほどの短い時間で発信者の意図を受け手に伝えるには、理解よりもイメージに訴えるほうが効果的だということです。
『言葉が最強の武器である』ということを義務教育で教えられていないことが、そもそも驚愕する事実なのです。
言葉は私たちが思っている力よりも遥かに強大な力を持っています。
言葉で人を傷つけ、果ては殺すこともできてしまうのです。
逆に、大きな力と戦うためには「言葉」を武器にするべき、なのです。
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