「正しい人間であるべき」

「正しい行いをするべき」



そんな風潮があります。




「正しい」という言葉は定義が難しい。

TPOによって正しいか正しくないか、は変わってしまうからです。 

そもそも何が「正しい」かなんて誰にもわかりません。

例えば「人を殺してはいけない」というのも通常ではそうでしょうが、戦争中には敵を殺して英雄扱いされる、ことは起こるわけです。

「正しさ」は他人が決めることであり、その支持者が多い場合に「これが正しいんだぞ」と正しさを強要しているに過ぎません。

つい最近まで(いや今でも)、マスクをしない奴は悪いやつだ、ワクチンを打たない奴は悪いやつだ、という空気がありましたが、まさにそれがそう。

そこに根拠など何もなく、「みんながそうやっている、みんながそう思っている」 だけで、さもそれが「正しい」こと、になってしまいます。





誰かが決めた「正しさ」に押さえつけられて生きること、は窮屈です。

自分で考えること、自分で決めることが面倒、またはそれができない、 という人以外は。

自分で考え、自分で決めた「正しさ」を貫く方が、楽しいと思うのです。

無論、それは社会のルール、法律の範囲内でのことです。




人は自分の人生をコントロールできているという感覚が強ければ強いほど、幸せを感じることができる、

ということがわかっています。

過去の自分より、現在の自分の方がより自由でより色々なことができている、という感覚が人を幸せにしてくれます。





自分に近い人との人間関係は、幸福感を左右する、ということもわかっています。

大切な人間関係のためには、コントロール感を多少犠牲にしても大丈夫なのです。

私で言えば、ネコ3匹を含めた家族はもちろん、友人、活動仲間、仕事のクライアント、を絶対に守ることは信条にしています。

この人たちのためには自分の自由は全て犠牲にしてもいいと思っていて、実際そうです。





それからより大事なことは「健康」です。

健康レベルが下がるだけで、幸福度は一気に下がります。

何はともあれ、健康な体があれば、まともに考えることもでき、行動もできます。

自分で正しいと思ったことを貫いていくためには健康が大前提になります。