いくら知識ばかりを増やしてもしょうがない。


いや、もちろん、ないよりはあったほうがいいものです。 

いくら素晴らしい本をたくさん読んでも、

いくら素晴らしい話をたくさん聞いても、

外に出て素晴らしい景色をたくさん見ても、

それは知識が増えただけ、知っていることが増えただけで、

人生の根本的な役には立っていません。




知っている、と、やっている、は違うし、

知っている、と、できる、も違うし、

知っている、と、わかっている、も違います。




物事には「本質」と「枝葉」があります。

「枝葉」は知識であり、

「本質」は「どうありたいか・どう生きたいか」という思い(志)です。





この「本質」の部分を常に念頭に置いておけば、

何を学ぶのか・誰と会うのか・何を見るのか・何を聞くのか、などの目的を外すことはなく、

その全てが自分の行く道を明るく照らしてくれます。





現在の社会では「どれだけ知っているか」によって優劣が決められているフシがあります。

そんな価値基準でいるのは机上の空論を繰り広げる学者だけでよい。

自分のやるべきことに向かって生きている人ほど、知識は最低限でいい、と思っています。

動きながら考えること、でしか「正解」は見つけられません。

社会で生きていると「知識」だけで正解を導き出せることはほとんどないと言っていいからです。




どれがいいですか?

これで合ってますか?

これってなんですか?




そんなイージーな質問を簡単に投げつける人が実に多い。

なぜその質問をするのか?

質問する前に、考えましょう。





自戒を込めて。