お釈迦さまが弟子に語った言葉があります。

仏典の「大蔵経」に記されている言葉です。


 

すべてがあなたにちょうどいい。

いまのあなたに、いまの夫がちょうどいい。

いまのあなたに、いまの妻がちょうどいい。

いまのあなたに 、いまの子どもがちょうどいい。

いまのあなたに、いまの親がちょうどいい。

いまのあなたに、いまの兄弟がちょうどいい。

いまのあなたに、いまの友人がちょうどいい。

いまのあなたに、いまの仕事がちょうどいい。

死ぬ日もあなたにちょうどいい。

すべてがあなたにちょうどいい。

 
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今目の前にいる人、環境、今起きていること、そのすべては自分にちょうどいい、ということ。

いまの自分にちょうどいいことが、必要なことが、ちょうどいいタイミングで起きている、ということです。

すべては必然だということ。




絶対、あいつが悪い!

こいつのせいでこんなことになった!

なんで私ばっかり大変な目に遭うんだろう!

嫌なことばっかりだ!

同じ家族なのになんでわからないんだ!

会社は従業員のことを全然考えてくれない!




私もついつい余裕がなくなると「人のせい」にしたくなることがあります。

誰かのせい、何かのせい、にしている限り、自分自身は変わらなくていい・変えなくていい、ので安心です。

コンフォートゾーン(安全圏・ぬるま湯ともいう)にいますから、心地よい。



でもそれでいい?

それで何かが変わりますか?




私たちは「自分を成長させるために」生まれてきています。

成長=変化、と言い換えてもいいでしょう。

人のせい、何かのせいにするために生まれてきたわけではありません。

少なくとも、私はそう思いたいし、そう考えています。

だから、何が起きても、それは「何かのせい」にせず、自分を変え続けていくべきという思いです。





「自分の外側」で起きること、起きたこと、をバネにして、

「自分の内側=こころ」を変えていく。



「自分を成長させること」が他の動物とは違う人の特権でもあり、責任でもあるからです。

これが生まれてきた意味であり、人としての最大の役目だとも思っています。

変わること、が大事。

変えること、が大事。




最初のお釈迦さまの言葉、

逆の言い方をすれば、

自分が変われば、その変わった自分にちょうどいいことが起きる、ということです。




何か望んでいるもの、こと、があれば、

『それにちょうどいい自分に変わること』です。


自分が変わらなければ、周囲も変わらない、ということです。