「健康」は万人の願いです。


現代は、(見かけ上は)誰でも健康な生活を営める権利を社会が保障してくれる世の中になってきています。

ところが実際には、病気でないだけ、という状態がほとんどで、常に病気に脅かされ、また医者や薬の世話になっている人が大勢います。

原因は色々ですが、健康は医者や薬が守ってくれるものではなく、各人が自分で守っていかねばならず、そのことは権利ではなくもはや「義務」なのです。

その考えが乏しいように思います。





本屋に行けば、健康を教える書籍が山積みです。

ネットも玉砕混交ですが、その類の情報で溢れかえっています。

いかに皆が健康に興味があるかということを物語っていますが、病気を手軽に治すことが主眼であったり、普遍性の無いものや方法が奨励され、もてはやされています。

果たしてそれがどれだけの効果をもたらすものだろうかと考えさせられます。

一部の人には確かに良いものであっても、それが誰にでも通用するかどうかは疑問です。

なぜなら、「健康にいい」というものは個人差や人種風土の条件、性格や生活の仕方まで考えに入れないと、本当にきめの細かい適用が個人個人にはできません。

同じ「人間」という種であっても、同じ「日本人」であっても、『同じ体』は2つとありません。

個性的で多様性を主張する生命の本質に関わることです。

テレビやネットでの「これ、体にいいんですよ」といった類のフレーズは無責任しか聞こえません。



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西洋医学と対極の扱われ方をされているものに「漢方」があります。

どうやらインドの医学に影響をされているものだと言われています。

そのインドの釈迦の言行を集めた古い経典の一つに『雑阿含経』というものの中の一説に

『医の王とは、善く病を知り、善く病の源を知り、病を対治し、その治病を知り、当来病ましめざるを云う』。


というものがあります。



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王というのは「大きな人」という意味もありますが、ただ一番偉い人ということではありません。

孔子は天・知・人の三者を結びつける働きをする人のことだと説明しています。

天の理、自然の法則、それを人間の規範に結びつけて指導できる人、が医者(指導者)いう捉え方をすれば、病人もそうでない人も命あるもの全てが求めるものです。

私自身は現代医療に携わることが生業ではありませんが、人を良くする、体を良くする、という点であれば、方向は同じです。





私たちは健康は権利ではなく義務であり、生きていく上で目的ではなく手段です。


ただ健康で長生きするのではなく、健康で長生きすることによって人生で何をなすべきか、を考えなくてはなりません。

「健康になるための方法」を学んでいく過程で、「生命とはどういうものであるか」を知っていくことが大事です。

自分で生きることの意味がわかれば、その人にとっての本当の健康法が会得できると思います。