現代はストレス社会。

特に都会で働く人にとっては、「通勤」が「痛勤」でもあります。

ストレスをいかに解消すし、元気でい続けることは極めて重要な課題です。





よく会社終わりに「一杯飲みながら愚痴を言って」その日の疲れやストレスを解消させる、という人がいます。

一杯やるのは、たいてい気の置けない仲間や友人でしょうから、「欠席裁判」のように課長や部長の悪口を言い合うことが「同僚意識」を共有し合うことになり、

かえってプラスに作用する、ということもあるでしょう。






私自身は「飲まない」のでこういうストレス解消法を好みませんし、やりません。

そもそも「人の悪口」を言うことは、一瞬スカッとするのかもしれませんが、自分の脳が最前列でその悪口を聞いていることになります。

何度も何度も、自分でも言い、他の人が言うのを聞いていたら、自分たちは上司の悪口を言っているつもりでも、自分たちの悪口を言っているようなものなのです。

自分を高めたり、仕事の質を上げることには全く役に立ちません。





飲む席で「悪口」の次に出てくるのは「愚痴」でしょう。

愚痴というのは定義が難しくて、聞く側の受け取り方次第。

話す方は愚痴ではなく一種の「苦労話」と思って話していることもあります。





苦労話はほとんどが「実話」です。


話し方によっては相手の共感を得やすい。

涙を誘うことも簡単です。

話し手は「苦しかった、辛かった」時の状態を再現していますから、口から出る言葉や回想イメージが、

『自律神経系』を通じて体に悪影響を及ぼします。

「まさか、そんなぁ」と思うかもしれません。

でも愚痴の多い人で、人生を楽しんでいる人、充実した人生を送っている人、前向きで明るい人、はほとんどいないでしょう。






「苦労話」と並んで「失敗談」、自分の失敗を話す人は大勢います。

講座やセミナーで講師自らが「具体例」と話すのを除けば、言い訳・話の種・無心のための説得などでしょうか。

でも、これも「苦労話」同様、できればしない方がいい。

どうしても話したいなら、最終的には「肯定する」、

もしくは「肯定的な話し方」にすることです。


「失敗しちゃったんだよね、、」で終わらず、失敗したおかげで学んだことがあって今成功している、ならまだいい。

失敗談は、他人には面白いのですが、話す当人にとってはプラスには働きません。






愚痴、苦労話、失敗談、、、これくらいしか話すことが無いんだよ、なんて人生は嫌ですね😭

つまり、「そんな人生」だってことになりますから。



「思ったように」なる、

「言ったように」なる、


口ぐせや発する言葉は、その人の「意識」や「思考」を反映したものであると同時に、

「意識」や「思考」を形作っていきます。


一緒の洗脳です。

自分で自分を洗脳しています。

口ぐせで将来を予見することは、そんなに難しいことでもありません。

「あいつ、昔っから将来はプロになるって口ぐせのように言ってたよな」

そんなフレーズ、聞いたことあるでしょう?




なりたい自分、やりたいこと、あるなら「口ぐせ」のように言いましょう。

「そのように」なりますから。