現在一般的には「お盆」シーズンです。
お盆の正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」。
お墓参りに行かなくても、思いを馳せるだけで十分です。
○●○●○●○●○○●○●○●○●○○●○●○●○●○○●○●○●○●○○●○●○●○●○
8月15日は終戦の日、または終戦記念日、ということになっています。
正式には『戦没者を追悼し平和を祈念する日』です。
こんな日でもあり、正確に知らない/聞いたことがない、という人もいると思うので、少しばかり掘り下げて、歴史を振り返ってみようと思います。
日本においては、第二次世界大戦が
1939年9月1日、に開戦、
1945年8月15日、に終戦、
という認識です。
しかし、実は世界では、必ずしも8月15日が終戦の日(終戦記念日)にはなっていません。
そもそも終戦とは戦争を終えること、という意味です。
国際法では、『戦争の終結が当事者双方の間で成立した状態』を指します。
また、『終戦』は『休戦が成立した時』とみなすこともできるので、この戦争に勝った国(戦勝国)と負けた国(敗戦国)、
当時日本の占領下にあった国などそれぞれの国の立場や事情で、
戦争が終わった日や終戦の意味づけが各々違っています。
第二次世界大戦(日中戦争・太平洋戦争)の最後のタイムラインは以下のようになっています。
8月10日:
天皇陛下が、御前会議で連合国による『ポツダム宣』の受諾を決断した日。
8月14日:
天皇陛下が終戦の詔書に署名し、連合国に正式に『ポツダム宣言』受諾を通告した日。
8月15日:
天皇陛下が事前に録音した終戦の詔書を、『玉音放送』という形で、日本国民と大日本帝国軍人に向けて、ラジオで放送された日。
8月16日:
大本営が全軍に休戦命令を出した日。
9月2日:
東京湾上に浮かぶアメリカ戦艦ミズーリ号で降伏調印式が行われ、当時の日本の外務大臣重光葵らが降伏文書に署名し、天皇陛下による降伏詔書が発表された日(国際法上、戦争が終結した日)。
この降伏文書には、日本のほか、アメリカ、イギリス、ソ連といった各国の代表が署名。
どの日でも『終戦』と見なすことができそうでもあります。
なぜその中で8月15日が「終戦の日」となったかについては実は明確にわからないそうです。
「玉音放送」などという国民にとっては衝撃的な出来事があったから、という説もあります。
法的には、
1963年5月14日の閣議決定(第2次池田内閣)で8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式が行われるようになった
1982年4月13日に8月15日を『戦没者を追悼し平和を祈念する日』とすることが、正式に閣議決定(鈴木善幸改造内閣)された
です。
聞けば、終戦後、随分と後になってのことなのだとわかります。
戦後75年を超えて、今は違ったタイプの『戦時中』の様相です。
第三次世界大戦中と言っても間違いではないと考えています。
爆弾や空襲はなくとも、世界中で生物兵器(ウイルス、ワクチン)や電磁兵器(電磁波、5G)での戦争真っ只中です。
私は第二次世界大戦は経験していませんが、
状況が悪くなっていけばいくほど、長引けば長引くほど、
お互いが「疑心暗鬼」になり、
お互いを無駄に、不毛に傷つけあったり、
お互いで攻撃しあったりします。
最初はみんなで「怖い、怖い」と同様の感情を持っており、諍いは起きませんでしたが、
時間が経つにつれ、「〇〇警察」が蔓延り、咳やくしゃみすら人前でできない雰囲気になっています。
人がマスクで顔を覆い、表情が見えなくなっています。
同調圧力が高まり、お互いを監視しあうようになっています。
すれ違う人を避けるように歩き、気軽に挨拶もできない空気は不自然すぎて、底知れぬ恐怖を感じます。
おそらく、75年前の戦時中も同様だったのではないかと思うのです。
戦争のためなら命を惜しまない、お上のためなら命を差し出すのが当たり前といった同調圧力が働き、
「自分は生きたい」「戦争なんかやめろ」などと声を上げれば、袋叩きでリンチにあったか、逮捕されていました。
「ウイルスと共存すべき」
「死者数が非常に少ないのだから恐れすぎだ」
「マスクなど意味がない」
「ワクチンで逆に死者数が増えている」
と勇気を持って声高に発信する人はまだ少数で、言えば非難され、
今の時代、ネット上ではその情報は「削除」され続けています。
『当事者』に都合の悪いことが、歪曲され、隠蔽されるのは、昔も今も変わっていません。
大事な真実の情報でも、「当事者に都合が悪ければ」握りつぶされます。
こんなのは政治やメディアの世界では常識なのです。
知らないのは「あなた」だけかもしれません。
新聞やテレビの記者は、政治家や官僚と癒着し、お互いにメリットになるように情報を交換合います。
新聞やテレビは公明正大で潔癖だと信じている「頭がお花畑」の人が多すぎます。
今こそ目を覚ます時だと思います。
今行っている施策や、政治家の言っていることが「まとも」だと思いますか?
自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考える。
自分で「正しいと思うこと」を選択する。
何度も同じ間違いを犯さぬように。
お盆の正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」。
お墓参りに行かなくても、思いを馳せるだけで十分です。
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8月15日は終戦の日、または終戦記念日、ということになっています。
正式には『戦没者を追悼し平和を祈念する日』です。
こんな日でもあり、正確に知らない/聞いたことがない、という人もいると思うので、少しばかり掘り下げて、歴史を振り返ってみようと思います。
日本においては、第二次世界大戦が
1939年9月1日、に開戦、
1945年8月15日、に終戦、
という認識です。
しかし、実は世界では、必ずしも8月15日が終戦の日(終戦記念日)にはなっていません。
そもそも終戦とは戦争を終えること、という意味です。
国際法では、『戦争の終結が当事者双方の間で成立した状態』を指します。
また、『終戦』は『休戦が成立した時』とみなすこともできるので、この戦争に勝った国(戦勝国)と負けた国(敗戦国)、
当時日本の占領下にあった国などそれぞれの国の立場や事情で、
戦争が終わった日や終戦の意味づけが各々違っています。
第二次世界大戦(日中戦争・太平洋戦争)の最後のタイムラインは以下のようになっています。
8月10日:
天皇陛下が、御前会議で連合国による『ポツダム宣』の受諾を決断した日。
8月14日:
天皇陛下が終戦の詔書に署名し、連合国に正式に『ポツダム宣言』受諾を通告した日。
8月15日:
天皇陛下が事前に録音した終戦の詔書を、『玉音放送』という形で、日本国民と大日本帝国軍人に向けて、ラジオで放送された日。
8月16日:
大本営が全軍に休戦命令を出した日。
9月2日:
東京湾上に浮かぶアメリカ戦艦ミズーリ号で降伏調印式が行われ、当時の日本の外務大臣重光葵らが降伏文書に署名し、天皇陛下による降伏詔書が発表された日(国際法上、戦争が終結した日)。
この降伏文書には、日本のほか、アメリカ、イギリス、ソ連といった各国の代表が署名。
どの日でも『終戦』と見なすことができそうでもあります。
なぜその中で8月15日が「終戦の日」となったかについては実は明確にわからないそうです。
「玉音放送」などという国民にとっては衝撃的な出来事があったから、という説もあります。
法的には、
1963年5月14日の閣議決定(第2次池田内閣)で8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式が行われるようになった
1982年4月13日に8月15日を『戦没者を追悼し平和を祈念する日』とすることが、正式に閣議決定(鈴木善幸改造内閣)された
です。
聞けば、終戦後、随分と後になってのことなのだとわかります。
戦後75年を超えて、今は違ったタイプの『戦時中』の様相です。
第三次世界大戦中と言っても間違いではないと考えています。
爆弾や空襲はなくとも、世界中で生物兵器(ウイルス、ワクチン)や電磁兵器(電磁波、5G)での戦争真っ只中です。
私は第二次世界大戦は経験していませんが、
状況が悪くなっていけばいくほど、長引けば長引くほど、
お互いが「疑心暗鬼」になり、
お互いを無駄に、不毛に傷つけあったり、
お互いで攻撃しあったりします。
最初はみんなで「怖い、怖い」と同様の感情を持っており、諍いは起きませんでしたが、
時間が経つにつれ、「〇〇警察」が蔓延り、咳やくしゃみすら人前でできない雰囲気になっています。
人がマスクで顔を覆い、表情が見えなくなっています。
同調圧力が高まり、お互いを監視しあうようになっています。
すれ違う人を避けるように歩き、気軽に挨拶もできない空気は不自然すぎて、底知れぬ恐怖を感じます。
おそらく、75年前の戦時中も同様だったのではないかと思うのです。
戦争のためなら命を惜しまない、お上のためなら命を差し出すのが当たり前といった同調圧力が働き、
「自分は生きたい」「戦争なんかやめろ」などと声を上げれば、袋叩きでリンチにあったか、逮捕されていました。
「ウイルスと共存すべき」
「死者数が非常に少ないのだから恐れすぎだ」
「マスクなど意味がない」
「ワクチンで逆に死者数が増えている」
と勇気を持って声高に発信する人はまだ少数で、言えば非難され、
今の時代、ネット上ではその情報は「削除」され続けています。
『当事者』に都合の悪いことが、歪曲され、隠蔽されるのは、昔も今も変わっていません。
大事な真実の情報でも、「当事者に都合が悪ければ」握りつぶされます。
こんなのは政治やメディアの世界では常識なのです。
知らないのは「あなた」だけかもしれません。
新聞やテレビの記者は、政治家や官僚と癒着し、お互いにメリットになるように情報を交換合います。
新聞やテレビは公明正大で潔癖だと信じている「頭がお花畑」の人が多すぎます。
今こそ目を覚ます時だと思います。
今行っている施策や、政治家の言っていることが「まとも」だと思いますか?
自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考える。
自分で「正しいと思うこと」を選択する。
何度も同じ間違いを犯さぬように。
コメント
コメント一覧 (2)
今まで信じてきたことや、よく考えず受け入れてきたことを覆されるのは怖いことです。
しかし今、根本から考え直さなければならない極面にあると感じています。
人生の意味や世の在り方、すべてが解るとはとうてい思えませんが、このチャンスに巡り会えたことに感謝しています。
sakurak31
がしました