失敗したり、間違いを犯した時、

「あぁミスをしてしまった、、、」と自分を責めたり、落胆することはありませんか?


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ほとんどの人は、自分の無能さを嘆き、自分を否定します。

わかるのですが、それは実に非常に「傲慢な態度」なのです。

なぜなら、「私は失敗するような人間ではない」「私が間違いを犯すはずがない」という思い込みがあることの裏返しになるからです。

まずで、完全無欠な人間であるかのように思っているから、ミスをした時に「嘆く」のです。

要求水準が高すぎ、自分を買い被りすぎ、とも言えます。

人間はそもそもが「不完全」なのですから、間違えるのは当然、ミスして当然、なのです。

なので、完全無欠という要求に応えられる人は一人もいないのです。





間違いについての事実を3つ挙げます。


間違いを常に避けることは不可能。
人間は常に間違いを犯しながら生きている。



全ての間違いは「学習」の機会。
間違いは教訓をもたらしてくれる。
間違った経験を糧に、今後間違わないですむ方法を考えることで成長できる。


間違った自分を許す。
間違いを忘れていいということではなく、間違いから学びを得たら、
その間違いを思い出す必要はないということ。



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人間は星の数ほどの間違いを犯す権利を与えられて生まれてきます。

実際、毎日間違い続けながら生きています。

社会を生きていく上で、間違うことは「必修科目」と言ってもいいかもしれません。

選択科目でなく、必修科目 笑

間違わない人間、それは生きていない人、ですね


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このブログでもたびたびキーワードで挙げている「完全主義」「完璧主義」という言葉。

実際に「完璧」は成し遂げることができません。

こういう思考の人は損失(ロス)が生じていて、もったいないのです。



①すべて「完全」な状況、条件が「完全」に揃うまで、行動しようとしない。

②簡単なことも「完全」にしようとするため、時間を無駄にしている。

③見たことがない、やったことがないことは「完全」にできる保証などどこにもないために、取り組もうとしない、始めようとしない。結果として「いつも同じ」ことをやるはめに。




👇これを変えるためのアクションプランはこちら。


①制限時間、締め切り、を決め、その時間内で最善を尽くす努力をする。

②「完璧」などない、ということを受け入れ、「目的」に対して達成度合いを決めて取り組む。

③やったことがないのだから「失敗」して当然の気持ちでいる。
失敗や間違いから「学べる」のだから、学びを得るには、失敗前提で気楽に始める。



私たち人間は、不完全な社会で、不完全な存在だということを忘れてはいけません。

「ほぼ」完全で十分ではないでしょうか?

それでも出来過ぎですね

「ほぼ」OK
「ほぼ」できた
「ほぼ」完成
「ほぼ」達成
「ほぼ」人間 笑



今日も「ほぼ」OKな一日を!!