思い通りにならないことが世の中にはあります。

他人と天気です。

人がもし、他の人を変えようと何かアクションを起こしたとしたら、

それは相手にとって、

「あなたは間違っている」

「私はあなたに不満がある」 

といったメッセージになります。 

自分以外の人から「ダメ出し」されて嬉しい人はいません。

よほど尊敬している上司や先輩、先生からのものであれば、グッと堪えて受け入れることもできるでしょうが、

基本その相手が「納得」しない限り、相手を変えることは難しい。

どんな時であれ、人を変えようという気持ちを捨て、相手のことを認め、受け入れます。

そして、「より良く」なれる情報を相手に伝えること。

「もう少しここをこうしたみたら?もっと良くなるよ」

「こういう見方はどう?それも悪くないと思うけど」

否定するのではなく、多面的な見方を伝え、代替案を提示します。

そのことに相手が気づき、「なるほど、それもそうだな」と思ったり、

「変われるならそちらがいいな」と思えば変わってくれます。

「変わりたいと思わない」なら、変わりません。

それはもうどうしようもない。

こちら側の「課題」ではなく、もう相手の「課題」です。

人は元来、自分の人生に責任を持つべき存在ですから、相手がそう考え行動するのなら、

仕方ない、と『諦める』ことです。


795




諦める、とは『執着しないこと』です。


執着とは『
一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと』。

それでは前に進めませんから、執着しないことです。





『執着』の対義語は『断念』です。

字の通り、念を断つ、ことです。

『念』というのは、心に抱いた感情、ある種の思い込み、時には自分で自分を苦しめてしまうような決め事、固定観念なども、『念』と言えます。

断念と聞くと、なんだかネガティブなイメージを抱きそうですが、

人が成長、進化していくためには、次々と『断念』してくことが必要とも言えます。

断念できないと、次に・先に進めない。

人生の時間が長くなればなるほど、その『念』の積み重なりが増え、さまざまな『念』で自分の頭や周囲を固めてしまっているように感じます。




自分が知らないこと、わかっていないこと、は本当に山のようにあります。

勝手に思い込んで、〜つもり、なことだらけです。

現実での出来事を冷静・客観的に俯瞰し、「あ!」と気付けた時は、本当に幸せに「断念」できます笑

断念することは、ハッピーなことですね。

一歩前進できますから。