はじめに言葉があった。

言葉は神とともにあった。

言葉は神であった。

全てのものは、これによらないものはなかった。





新約聖書ヨハネの福音書は、このように始まります。

言葉で表すことのできるものが増えるにつれ、世界はその存在を広げていきます。

言葉にできないものは認識することができませんし、認識不能なものは、その人にとって存在しないも同然です。




言葉によって世界を認識するというのは、人間だけが獲得した非常にハイレベルな能力です。

過去・現在・未来と、多次元にわたり複雑な時間感覚を持っているのも、人間だけです。

現在では地球上には140万種以上の生物種が生きていると言われています。

その中で「たった1種」私たち人間のみに許されたものがあるというのは、とてつもなくすごいことであると思います。

奇跡、です。

当たり前のように言葉を使い、何気なく過去のことを話したり、未来のことを予測したりしていますが、

本当にそれはすごいことなのです。


 


およそ750万年前に、人間の始祖が誕生したと言われています(教科書的には)。

最大の環境適応能力は、脳が大きくなったこと、というよりむしろ、

大きくなった脳を全身で支えるために2本足で立ち、2足歩行を始めたことです。

2本の足で立ち上がると胴体が垂直になり、重たい頭部が安定的に支えられます。

2足歩行という下肢の運動は、脊髄の神経系を通して脳に刺激を伝えて、脳の発達を促進します。

頭部の安定と刺激の伝達によって、ますます脳が発達していく条件が整っていったわけです。

移動の手段が脚に特化されたため、両手が自由に使えるようになりました。

脳の発達と相まって、道具の使用ができるようになったのは皆さんもご存知でしょう。

道具といっても、最初はそこらにあった貝殻や石、木の枝だったと思います。

そのうち、狩に必要な道具に加工し、武器を作り始めました、

道具や武器を使うために、手指を巧みに使うようになり、それがまた脳に刺激を与えることになります。

武器の使用で、狩の成功率も上がり、よりタンパク質を摂取することが可能になり、

そのことが更なる脳の発達に役立っていきました。






直立姿勢を取ったことで、骨格や筋肉にもさまざま変化がありました。

声を発する器官である声帯の構造に変化が起きました。

微妙な発音が可能になり、初期言語と呼べるものが誕生していきます。

狩猟・採集に役立つ合図、命に関わる情報のやりとりが元になって、生活全般に使える単語が培われていったと思われます。

天・地・東西南北・上下左右といった方向感覚を「概念」として捉えることができるようになったのも、「言葉」で表わせるものが増えていったからです。

その先に少しづつ言語体系は複雑になり、過去・現在・未来、または前世や死後の世界など、

「抽象的」な時間感覚を概念として共有できるレベルになっています。

このように、「言葉」の発達によって、世界が広がっていきました。

見たことがないものも、誰かの「言葉」によって、

見たことがない人の頭の中に「イメージ」することが可能です。

多くの人の「共通認識」にすることができるのも「言葉」があるからです。


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「言葉」によって「世界」を広げてきたのですから、

「世界」を広げるには「言葉」を活用すればいい、ということになるはずです(よね?)。

自分の世界を広げるも狭めるも「言葉」次第。

日本語、英語、といった言語の種類ということではなく、

その言語の奥行き、深さ、みたいなものを追求していくことも必要だな、と思っています。

そして「言葉」そのもの、だけでなく、

「その言葉の含む意味」や「言葉の裏にある意味」などは日本語ならではの言語の奥行きだと思っています。



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いい言葉を使えば、世界はよくなり、

よくない言葉を使えば、世界はよくなくなる。


自分の口から出てくる言葉は、自分の脳を一番刺激している、と忘れないでおきましょう。


そして、歩きましょう。

歩くことで『人間らしく』なってきたのですから。