しつこいタイトルですみません苦笑
思考するには、ある程度の情報量が必要になります。
そのために本を読んだり、ネットで情報収集したり人の話を聞いたり、歴史などを勉強したりします。
『知識』となって、その人の頭の中に入るわけです。しかし、
その「知識」は、過去に誰かがその人の頭の中で考えたこと、です。
「考える」とは難しい概念です。
・今考えてます
・ずっと考えているんだが
・うーん、考えがまとまらない
そんなことを普通に今まで何度も発してきましたよね?
そういった状況は「考えている」とは言わず、むしろ「なにも考えていない」状態に近い(と思っています)。
「自分の頭で考える」と、わざわざ「自分の」と付け足して言うのはなぜなのか??
逆に、「他の人の頭で考える」と言えばそれは何を意味するのか?
ふとそんなことを考えました。
「考える」を考える??笑 一緒に考えましょう
世の中の事象、事柄、には必ず最低でも2面性があります。
もっとある場合ももちろんあります(多面性)。
ざっくり言えば「いい面と悪い面」「メリットとデメリット」「作用と副作用」です。
結論として、人はそれぞれが「これ」と思うことを選びます。
何かを見たり聞いたりして、その『2面』が頭に出てくる場合は「純粋な思考」をしていると言えます。
例えば現在話題になっている「五輪の開催」について。
開催する(しない)ことによってのメリット、デメリットの両方をを考えうる限り列挙できるかどうか?
・開催することによってのメリット、デメリット
・開催しないことによってのメリット、デメリット
みなさん、それぞれ、考えてみてください。
騒いでいるメディアはこの「純粋な思考」をしているのか??
ある情報から、楽観的なことしか読み取れない、または悲観的なことしか読み取れないのは、
その人に最初から「バイアス」がかかっているからです。
固定観念、既成概念、に影響されてしまっています。
そういう場合は『純粋な思考』にならなくなります。
全ての可能性を考えた上で、「こちらだ」と決めることが『思考』した結果です。
最初から「こっち(しかない)でしょ」と決めつけてしまうのは、『思考』したことにはならず、何かバイアスが影響していると言えるのではないかと思います。
今の政治家は「思考」していませんね
私たちは「知識」を持っています。
例えば先ほどの「五輪」について。
・五輪の放映権は莫大なお金になる
・五輪は一部の関係者の利権だ
・五輪は盛り上がる
・五輪は4年に1回しかない貴重な機会
・五輪は世界中から注目される
・五輪はスポーツの祭典
・五輪はスポーツ選手の間では最も名誉な大会
ここに挙げた以上にもっと五輪に関しての知識、情報をお持ちの方もいるでしょう。
私たちは今までに何回か五輪をテレビ放送などで見て経験済みでもあります。
寝不足になりながらも、応援に熱くなって感動した人も多いと思います。
私も少なからず幾度も釘付けになってきましたし、その一瞬を目の当たりにして興奮もしました。
その「体験」は「知識」となってその人の頭に強く残ります。
ただ、それらの知識が「純粋な思考」の邪魔をしてしまうこともあるのだ、と言うことを知っておかなくてはなりません。
ここでもう一つ例を。
「運動」に関してですが、これは私の専門分野でもあります。
「ストレッチ」について、ここで一般的にみなさんがお持ち(であろう)の知識を(想像して)列挙してみます。
・ストレッチは健康にいい
・ストレッチは怪我予防になる
・運動の前にはストレッチをするのが大事
・運動後はストレッチをしないと筋肉痛になる
・ストレッチをすると柔らかくなる
・ストレッチは少し痛いと感じるくらいがいい
・ストレッチすると可動域を広げられる
ざっとこんなところでしょうか?
ストレッチ=筋肉を引っ張る動き、という知識が頭に入り込んでいて、
ストレッチ=体にいい、というバイアスがかかっていると思います。
なので、私が「ストレッチはやらない方がいい」と言うと、
ほとんどの人が「え〜、うそでしょ??」とにわかには信じられず、私の言葉は「スルー」されます
「ストレッチ」という事象も例に違わず『2面性』があります。
・引っ張る動作は体を緊張させる
・引っ張る動作自体、力が入る
・引っ張る動きは伸長性の運動である
・固いものを引っ張っても柔らかくはならない
など、ストレッチについて「考える」とデメリットや整合性の取れないことがポロポロ出てきます。
でも前もって各々の頭の中にあるストレッチに対する「知識」が邪魔をしてしまい、
ストレッチに対しての『純粋な思考』ができず、盲信的になってしまうのです。
・ジムで最初にストレッチしてくださいと教わった
・◯◯選手は練習の前に最初に必ずストレッチとすると言っていた
「ストレッチ」がいいか悪いか、という問いに対して白黒つける必要はないでしょう。
やって効果があると実感し、メリットが多いなら、したら良いと思います。
大事なことは
・バイアスを通さず、
・過去の「知識」に囚われず、
・「2(多)面性」を純粋に考えて、
・その上で「自分の頭で考えて決める」こと。
そして、自ら吟味すること、なのだと思っています。
思考するには、ある程度の情報量が必要になります。
そのために本を読んだり、ネットで情報収集したり人の話を聞いたり、歴史などを勉強したりします。
『知識』となって、その人の頭の中に入るわけです。しかし、
その「知識」は、過去に誰かがその人の頭の中で考えたこと、です。
「考える」とは難しい概念です。
・今考えてます
・ずっと考えているんだが
・うーん、考えがまとまらない
そんなことを普通に今まで何度も発してきましたよね?
そういった状況は「考えている」とは言わず、むしろ「なにも考えていない」状態に近い(と思っています)。
「自分の頭で考える」と、わざわざ「自分の」と付け足して言うのはなぜなのか??
逆に、「他の人の頭で考える」と言えばそれは何を意味するのか?
ふとそんなことを考えました。
「考える」を考える??笑 一緒に考えましょう
世の中の事象、事柄、には必ず最低でも2面性があります。
もっとある場合ももちろんあります(多面性)。
ざっくり言えば「いい面と悪い面」「メリットとデメリット」「作用と副作用」です。
結論として、人はそれぞれが「これ」と思うことを選びます。
何かを見たり聞いたりして、その『2面』が頭に出てくる場合は「純粋な思考」をしていると言えます。
例えば現在話題になっている「五輪の開催」について。
開催する(しない)ことによってのメリット、デメリットの両方をを考えうる限り列挙できるかどうか?
・開催することによってのメリット、デメリット
・開催しないことによってのメリット、デメリット
みなさん、それぞれ、考えてみてください。
騒いでいるメディアはこの「純粋な思考」をしているのか??
ある情報から、楽観的なことしか読み取れない、または悲観的なことしか読み取れないのは、
その人に最初から「バイアス」がかかっているからです。
固定観念、既成概念、に影響されてしまっています。
そういう場合は『純粋な思考』にならなくなります。
全ての可能性を考えた上で、「こちらだ」と決めることが『思考』した結果です。
最初から「こっち(しかない)でしょ」と決めつけてしまうのは、『思考』したことにはならず、何かバイアスが影響していると言えるのではないかと思います。
今の政治家は「思考」していませんね
私たちは「知識」を持っています。
例えば先ほどの「五輪」について。
・五輪の放映権は莫大なお金になる
・五輪は一部の関係者の利権だ
・五輪は盛り上がる
・五輪は4年に1回しかない貴重な機会
・五輪は世界中から注目される
・五輪はスポーツの祭典
・五輪はスポーツ選手の間では最も名誉な大会
ここに挙げた以上にもっと五輪に関しての知識、情報をお持ちの方もいるでしょう。
私たちは今までに何回か五輪をテレビ放送などで見て経験済みでもあります。
寝不足になりながらも、応援に熱くなって感動した人も多いと思います。
私も少なからず幾度も釘付けになってきましたし、その一瞬を目の当たりにして興奮もしました。
その「体験」は「知識」となってその人の頭に強く残ります。
ただ、それらの知識が「純粋な思考」の邪魔をしてしまうこともあるのだ、と言うことを知っておかなくてはなりません。
ここでもう一つ例を。
「運動」に関してですが、これは私の専門分野でもあります。
「ストレッチ」について、ここで一般的にみなさんがお持ち(であろう)の知識を(想像して)列挙してみます。
・ストレッチは健康にいい
・ストレッチは怪我予防になる
・運動の前にはストレッチをするのが大事
・運動後はストレッチをしないと筋肉痛になる
・ストレッチをすると柔らかくなる
・ストレッチは少し痛いと感じるくらいがいい
・ストレッチすると可動域を広げられる
ざっとこんなところでしょうか?
ストレッチ=筋肉を引っ張る動き、という知識が頭に入り込んでいて、
ストレッチ=体にいい、というバイアスがかかっていると思います。
なので、私が「ストレッチはやらない方がいい」と言うと、
ほとんどの人が「え〜、うそでしょ??」とにわかには信じられず、私の言葉は「スルー」されます
「ストレッチ」という事象も例に違わず『2面性』があります。
・引っ張る動作は体を緊張させる
・引っ張る動作自体、力が入る
・引っ張る動きは伸長性の運動である
・固いものを引っ張っても柔らかくはならない
など、ストレッチについて「考える」とデメリットや整合性の取れないことがポロポロ出てきます。
でも前もって各々の頭の中にあるストレッチに対する「知識」が邪魔をしてしまい、
ストレッチに対しての『純粋な思考』ができず、盲信的になってしまうのです。
・ジムで最初にストレッチしてくださいと教わった
・◯◯選手は練習の前に最初に必ずストレッチとすると言っていた
「ストレッチ」がいいか悪いか、という問いに対して白黒つける必要はないでしょう。
やって効果があると実感し、メリットが多いなら、したら良いと思います。
大事なことは
・バイアスを通さず、
・過去の「知識」に囚われず、
・「2(多)面性」を純粋に考えて、
・その上で「自分の頭で考えて決める」こと。
そして、自ら吟味すること、なのだと思っています。
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コメント
コメント一覧 (2)
自分の好みや希望に近づけようとしてしまいますね。
ただ、振り返って自分の考えなのか検証することは視野狭窄にならないためにも
必要ですね。
sakurak31
がしました