昔は痛いところがあると、「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んでいけ!」と大人がよく子どもに言っていましたね。
そんなことで本当に痛みが無くなったかどうかは記憶が定かでないですが
泣き喚いていたのをやめて、安心感が得られたのは覚えています。
当時は実際にそんなことが大勢の人たちの間では行われていたし、実際に痛みを減らしたり無くしていたりしていた代替医療の一つだったわけです。
戦争前後の時代には、何か原因がわからない病気にかかると、近所の「拝み屋(祈祷師)」のところに行っていたと聞きます。
病人がそこまで行かれない時には、病人の着ていたものを「拝み屋さん」に持っていき拝んでもらったそうです。
今では信じがたいことですが、本当にそれで病気が治っていたのです。
そこにいる全員が「そう信じている」のですから、あやしくもなんともないのです。
大人がそう信じているので、当然子どももそれが当たり前と思います。
それが「常識」になります。
科学的に証明しろ、と言われても証明はできないのかもしれませんが、実際それで痛みが消えたり熱が下がったりし、回復していました。
また、当時は靴下などもなく、草鞋やゾウリを履いていて、寒い時期はみな足が霜焼けで腫れていたようですが、それが当たり前。
牛や馬の糞などがあちこちに落ちていたり、埃まみれで生活していたはずですが、
誰も花粉症やアレルギーなどなく生きていました。
それが当時の常識です。
現代人がそんな生活に順応できるかどうか 自信がある人は少ないでしょうね。
現状は、、、なんでも除菌、清潔、隔離、自粛、、、
おしゃべりに熱が入ろうものなら、マスクやアクリル板、、、どうかしていませんか?
はっきり言いますが「狂っている」。。。
時代の『常識』とは、短期間で変化するもの。
ほんの数十年、いや数年のうちに、信じられないほど『常識』だったことが真逆の『非常識』になることはもう疑いようがありません。
いつでもどこでもマスクをすることが当たり前の『常識』になってしまうのかもしれないと思うとゾッとします。
この世の中は「諸行無常」の言葉の通り、常に、全てが「変化し続けて」います。
変わらないことなど一つもありません。
皆さんの体も昨日とは変わっていないように見えても「1/37」ほど変わっています。
全身を構成する37兆個(一説では60兆個)の細胞のうち、1兆個は毎日代謝をして入れ替わっていると言われています。
科学で説明できないこと、エビデンスがないこと、でも事実であることや効果があること、は世の中には山ほどあります。
「このような原理(理屈)だ」と仮に変化の流れの一部を切り取ったとします。
その切り取ったものは、その時点で変化が止まり、命を失います。
健康であることに固定した原因はありませんし、決められません。
世の中には原理や理屈がわからなくても、効果がある健康法や、変化をさせる方法はたくさんあります。
皆さんも「直感」でいいと思ったことや、「直感」で決めて選択してきたことがたくさんありますよね。
私のクライアントのほとんどが10年以上継続してくださっている人たちです。
中には15年を超える方たちも。
私が素晴らしいという「エビデンス」は最初にお互いが出会った時には無かったと思うのですが
きっと皆さん「直感でなんとなく良さそう」と感じてくださったのだと理解しています。
その『直感』というのは、不思議とうまくいきますし、後で当たってたなと思うことがほとんどです。
そこに理由やエビデンスはありません。
健康法や施術法はあまりにもたくさんあります。
本屋に行けば山ほど見つかりますし、毎日と言ってもいいほどこれから先も出てくるでしょう。
逆に言えば、いつまで経っても方法も原理も定まらないのが「健康」「生命」だと思うのです。
常識だから、ということに縛られると、せっかくの自分にとってのチャンスやきっかけを見逃すことになります。
日本人は特にその「大勢がそうだと思っている常識」に弱い国民。
人の目、体裁、を過剰に気にする人たちです。
自分の「直感」を信じて、
その「直感」で「選択」したことに自信と責任を持って、
自分の健康、人生、をいいものにしていきたいですね。
そんなことで本当に痛みが無くなったかどうかは記憶が定かでないですが
泣き喚いていたのをやめて、安心感が得られたのは覚えています。
当時は実際にそんなことが大勢の人たちの間では行われていたし、実際に痛みを減らしたり無くしていたりしていた代替医療の一つだったわけです。
戦争前後の時代には、何か原因がわからない病気にかかると、近所の「拝み屋(祈祷師)」のところに行っていたと聞きます。
病人がそこまで行かれない時には、病人の着ていたものを「拝み屋さん」に持っていき拝んでもらったそうです。
今では信じがたいことですが、本当にそれで病気が治っていたのです。
そこにいる全員が「そう信じている」のですから、あやしくもなんともないのです。
大人がそう信じているので、当然子どももそれが当たり前と思います。
それが「常識」になります。
科学的に証明しろ、と言われても証明はできないのかもしれませんが、実際それで痛みが消えたり熱が下がったりし、回復していました。
また、当時は靴下などもなく、草鞋やゾウリを履いていて、寒い時期はみな足が霜焼けで腫れていたようですが、それが当たり前。
牛や馬の糞などがあちこちに落ちていたり、埃まみれで生活していたはずですが、
誰も花粉症やアレルギーなどなく生きていました。
それが当時の常識です。
現代人がそんな生活に順応できるかどうか 自信がある人は少ないでしょうね。
現状は、、、なんでも除菌、清潔、隔離、自粛、、、
おしゃべりに熱が入ろうものなら、マスクやアクリル板、、、どうかしていませんか?
はっきり言いますが「狂っている」。。。
時代の『常識』とは、短期間で変化するもの。
ほんの数十年、いや数年のうちに、信じられないほど『常識』だったことが真逆の『非常識』になることはもう疑いようがありません。
いつでもどこでもマスクをすることが当たり前の『常識』になってしまうのかもしれないと思うとゾッとします。
この世の中は「諸行無常」の言葉の通り、常に、全てが「変化し続けて」います。
変わらないことなど一つもありません。
皆さんの体も昨日とは変わっていないように見えても「1/37」ほど変わっています。
全身を構成する37兆個(一説では60兆個)の細胞のうち、1兆個は毎日代謝をして入れ替わっていると言われています。
科学で説明できないこと、エビデンスがないこと、でも事実であることや効果があること、は世の中には山ほどあります。
「このような原理(理屈)だ」と仮に変化の流れの一部を切り取ったとします。
その切り取ったものは、その時点で変化が止まり、命を失います。
健康であることに固定した原因はありませんし、決められません。
世の中には原理や理屈がわからなくても、効果がある健康法や、変化をさせる方法はたくさんあります。
皆さんも「直感」でいいと思ったことや、「直感」で決めて選択してきたことがたくさんありますよね。
私のクライアントのほとんどが10年以上継続してくださっている人たちです。
中には15年を超える方たちも。
私が素晴らしいという「エビデンス」は最初にお互いが出会った時には無かったと思うのですが
きっと皆さん「直感でなんとなく良さそう」と感じてくださったのだと理解しています。
その『直感』というのは、不思議とうまくいきますし、後で当たってたなと思うことがほとんどです。
そこに理由やエビデンスはありません。
健康法や施術法はあまりにもたくさんあります。
本屋に行けば山ほど見つかりますし、毎日と言ってもいいほどこれから先も出てくるでしょう。
逆に言えば、いつまで経っても方法も原理も定まらないのが「健康」「生命」だと思うのです。
常識だから、ということに縛られると、せっかくの自分にとってのチャンスやきっかけを見逃すことになります。
日本人は特にその「大勢がそうだと思っている常識」に弱い国民。
人の目、体裁、を過剰に気にする人たちです。
自分の「直感」を信じて、
その「直感」で「選択」したことに自信と責任を持って、
自分の健康、人生、をいいものにしていきたいですね。
コメント
コメント一覧 (2)
常識といわれるものに違和感を感じる日々です。
sakurak31
がしました