日本人の心に深く根付く行動規範である

目配り・気配り・心配り

とは、相手に喜んでもらうことが根底にあります 




江戸時代は鎖国していたこともあり西洋の影響を受けていない日本固有の数学である『和算』というものがありました。

そして、その和算は相手に喜んでもらえるような直接役に立つ勉強でもありました。


当時の人々にとって、道楽であるとともに田を作り水を引く土木工事や天体を観測して暦を決める暦法、そして商業にも役立ち、世の中を豊かにするものでした。

現代もいろいろな意味で和算の恩恵を受けています。



『和算』は殿様や身分の高い人だけではなく、庶民も含めありとあらゆる階級の人々にまで広まっていました。

この江戸時代の数学がどんなに一般庶民のものであったかは、各地の神社仏閣に掲げられた算額からよく分かります。


和算


「算額」というのは、自分が解いた数学を額に書いて神仏に掲げるもので、はじめは「数学絵馬」と言っていました。

額には問題、答え、解き方、幾何学図形、そして、先生と自分の名前が書かれています。




例えば、京都の八坂神社にあるものは当時の数学者が掲げたもので、現代数学でいえば、70次方程式でなければ解けない問題です。

(2字方程式なら知っているけれど😅)



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また、岩手県の竜泉寺に掲げられたものは、37桁という大きな数の26乗根を出せというもので、横2メートルもある額いっぱいに計算がしてあります。


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江戸時代に出版された教科書的書籍の中で最も人気だった『塵劫記』(寛永4年 吉田光由著)には、実際の生活の中で有用な方法も応用問題として示されています。

例えば、

土木技術の基礎となる検地・治水・掘割・測量

などを題材とした問題です。



問題
 

北に堀を掘る。
 

掘った土を使って下底が一辺30間の正方形で、
高さが9間の正四角すい台の天守閣の土台を作る。
 

上底の正方形の広さはいくらか?
 



◎△$♪×¥●&%#?!


当時の和算は、今の数学のx+y=・・・のように記号式ではなく、

文章の問題を論理的に頭で考えるものです。


江戸の人々の勉強レベルがとても高かったのは、記号式ではなく論理が整合しているか自分の頭でしっかり考えていたからなのかもしれないです。

それをクイズのように趣味として、あらゆる人々が楽しんでいた日本人のレベルは本当に高かったと驚きます。




そう言えば、私が小さい頃に「一休さん」というアニメがありましたが、『トンチ』というものは多面的多角的、またクリエイティブな思考です。

 

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計算(勉強)することで、直接周囲の役に立つ(土木・暦・商業など)

周囲の人が喜ぶ&褒められる

勉強する活力が上がり、楽しくなる




自分のため、ではなく「誰かのため」「誰かの役に立つ」ことが先にあり、それがモチベーションであることが健全ですね。