学校では「正解」「答え」が用意されています。

でも社会では「正解」「答え」は用意されていません。

というより、「正解がない」と言った方が適切かもしれません。


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多くの人は義務教育を受けてきています。

その中で、さまざまな課題や問題が与えられて、それに対する「答え・正解」があります。

クイズ、テスト、試験、課題などを出されて、それに対して答えて、得点や成績をつけられます。
 
「正解はこれですよ」「これは間違っています」「これはダメです」と白黒つけられていきます。

もし考えて、わからなければ、先生が「答えはこうです」と教えてくれます。 

『自分で考えなさい』と言われて答えを教えてくれなかったら、「これでいいのかな?」「合っているのかな?」と不安になります。

小さい頃に「これが正解です」と唯一の正しい答えを示されて、安心しきっていたのに、

成長してから、いきなりその「正解のない」社会に放り出されます。


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絶対にこれが正しい、これが正解、という数式から出される答えのようなものは、社会に出ると人生ではほとんどありません。

『これでよいのだろうか?』

と常に不安を抱えながら、生きています。

自分で考えて、自分で選択・決断できない人が多いのが今の社会です。

自分で考えて、自分で導いた答えこそが、その人にとっての「正解」になる可能性が高いのですが、

それができない。

そうすると、自分以外の誰か、例えば「テレビ」で「〇〇すればいいですよ」「〇〇が正しいですね」と聞くと、

「それが正解なのか」とそれを自分の意見に置き換え、安心するのです。

大きな機関、権威のある立場の人、有名な先生、などが発する言葉に、安心を覚えるのです。

でも、これは「思考放棄」「思考停止」に等しいことです。


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自分で考えて、自分で決断する、のは不安です。

なぜなら「正解かどうか」「答えがあっているかどうか」わからないからです。

学校教育で「正解でなければダメです」「正解を書かないと点数になりません」と、

常に「正解」だけを求められ続け、正解こそが全て、のような思考にさせられているからです。

実際は「答え」などいくつも考えられ、無機質なものではなく、生き物のように常に「答え」は変わるし、変えることができるのです。

証明されている数式や、公式は変えようがなく、正解は一つです。

でも、私たちが日常、生きていくために、行動することの一つ一つに正解などはないのです。

あの時こうしておけば、あの時これをしておけば、あの時、、、そんなことは数多あるでしょう。

でも、自分で決めて、自分で行動したことに対して、それを「正解」にするかしないかは「自分次第」です。

正解になるように行動していけばいいし、もし正解から外れているようなら、行動を修正すればいいだけです。





「答え」をハナから他から与えらえれば、考えなくていいので楽です。

もしそれが正解でなくても、自分で出した答えではないので、人のせいにすることができます。

後悔もせず、苦しまないで済みます。

でも、その個々人の、言うなれば「怠惰」な姿勢が、社会全体がコントロールされやすくなってしまっていると感じるのです。

政治家の言いなり、役所の言いなり、会社の言いなり、専門家の言いなり、メディアの言いなり、、、になっています。

さまざまな人の意見を聞くことは大事です。

その意見や考えを聞いた上で、自分で考え、自分で決断し、自分で行動する、という「他人に依存しない自分の思考」をしてくことが必要だと思います。

別にメインストリームの意見に抗え、というわけではありません。

自分で考えた上で、他の多くの人が言っているのと自分も同じ意見だ、というのであればいいと思います。


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誰かに指示されて動く、誰かの意見でしか動けない、誰かに決めてもらう、、、

それって「誰の人生」でしょうか?